神の御前では皆等しく愛されている

08. 銀を精錬する者

 女性信徒の聖書研究会で、ある時マラキ書の一節が読まれた。そこには神について次のように書いてあった。「彼は精錬する者、銀を清める者として座し…(マラキ3:3)」。参加者たちは、この一節にたいへん興味を持った。神の性質や本質について、この記述はいったいどういうことを意味しているのだろう。

 参加者の一人が銀の精錬過程を調べたいと言い出した。彼女はその週のうちに銀細工職人に電話をかけ、仕事を見せてもらう約束を取りつけた。銀の精錬に興味があるので、とだけ彼女は職人に言った。

 銀細工職人は、銀の一片を火の中に入れ、それが真っ赤に熱せられるのを彼女に見せながら説明した。銀を精錬するには、炎が最も強く燃えている火の真ん中に入れなければならないこと、そうやってはじめて不純物が取り除かれることを。

 それを聞いて、彼女は、神の手で私たちがそのような最も熱いところに入れられる様子を思い浮かべた。すると、あの一節がいま一度脳裏に浮かんだ。

 「彼は精錬する者、銀を清める者として座し…」。

 そこで、彼女は職人にたずねた。銀が精錬されている間じゅうずっと、火の前に坐っていなければならないのですか、と。

 職人は答えた。「もちろんだとも。ずっとここに坐って銀を支えていてやらないといけないし、それに、火の中にある間は、一瞬でも銀から目を離しちゃいけないんだ。たとえわずかでも、必要以上に銀を火中に置いておくとだめになってしまうからね」。

 彼女は一瞬黙りこんだ。それから聞いた。「銀が完全に精錬されたことはどうやって分りますか?」

 職人は微笑んで答えた。「それは簡単だ。銀に私が映るようになったときだから」。

 今日、精錬の火に苦しんでいるなら、思い出しましょう。神はいつもあなたに目を注ぎ、あなたに神ご自身のお姿が映るまで、ずっとあなたを見守り続けておられることを。

【聖書から】

彼は精錬する者、銀を清める者として座し
レビの子らを清め
金や銀のように彼らの汚れを除く。(マラキ3:3)
 

見よ、主は御目を注がれる
主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。
彼らの魂を死から救い
飢えから救い、命を得させて下さる。(詩編33:18-19)