神の御前では皆等しく愛されている

09. 木のお椀

 ある老人が、年取ってかなり弱ってきたので、4 歳の子供がいる息子夫婦の家族と同居することになった。彼の両手はふるえ、視力は衰え、歩みはおぼつかなかった。

 家族は同じ食卓で食事をした。しかし、老人の震える手とかすんだ眼では、食べるのがひと苦労だった。豆はスプーンから床へ転がり落ちるし、ミルクのコップを口にすればミルクはテーブルクロスにまき散らされた。この汚い様子に息子と嫁はいら立った。「おじいちゃんを何とかしなくてはな」と息子は言った。「ミルクをこぼしたり、音を立てて食べたり、床に食べ物を落としたり…、もう、うんざりだよ」。

 そこで、夫婦は部屋の隅に小さなテーブルを置き、おじいちゃんひとりをそこで食べさせ、自分たちは彼ぬきで食事を楽しんだ。おじいちゃんはそれまでに皿を 1 〜 2 枚割っていたので、落としても割れない木のお椀で食べさせることにした。家族がおじいちゃんの方をちらっと見やると、時々、一人ぼっちで食事するおじいちゃんの眼に涙が浮かんでいた。それでも、夫婦が言葉をかけるのは、おじいちゃんがフォークを落としたり食べ物をこぼしたりするのを鋭く叱りつけるときぐらいだった。

 4 歳の孫はこれらを全部黙って見ていた。ある晩、夕食の前に父親は息子が木の切れ端で一所懸命何かを作っているのに気付いた。父親はやさしく訊ねた。「何作ってるんだい?」子供も、まったく同じやさしさで答えた。「パパとママにお椀を作ってるんだよ。ぼくが大きくなったら、パパとママがこれで食べられるように」。4 歳児はにっこり笑って、また自分の仕事に没頭した。

 子供が言ったことばに、両親は物も言えないほど衝撃を受けた。やがて、二人の頬に涙が流れ落ちた。二人とも、ひとことも言わなかったが、何をなすべきかを悟った。

 その夜、夫はおじいちゃんの手をやさしく取り、家族の食卓へ連れて行った。こうして、おじいちゃんの残された日々の食事は、いつも家族と一緒の食卓で取られることになった。夫も妻も、おじいちゃんがフォークを落とそうが、ミルクをこぼそうが、テーブルクロスを汚そうが、もう、いっこうに気にしなかった。

【聖書から】

人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。(ガラテヤ6:7)

白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神をおそれなさい。(レビ19:32)

わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。(マタイ25:40)