神の御前では皆等しく愛されている

22. 羊らは見ている

ある時、ある司祭が別の小教区へ異動になった。 赴任して間もなく、彼は中心街へ向かうバスに乗った。 座席に坐ってから、彼は運転手のくれたおつりが10セント 多いことに気が付いた。

どうしようか考えているうちに、 彼は自分勝手に考え始めた。「まあ、いいか。忘れよう。 たった10セントのことだ。こんなわずかの金をだれが気にかけよう。 バス会社はどうせたっぷりバス代を受け取っているのだし、 惜しいとも思わないだろう。神さまへの贈り物としてもらっておくか」。

だが、目的地のバス停に着いたとき、彼は立ち止まって考え直し、 10セントを運転手に渡して言った。 「これ、どうぞ。おつりが10セント余分でした」。

すると運転手はにっこり笑って答えた。 「あなたは新しい神父さまでしょう。私はまた教会に行こうかどうしようか、 迷っています。それで、もし、おつりを余分に差し上げたら 神父さまがどうなさるか、知りたかったのです」。

神父はバスを降りた。 内心、動揺していた。彼は呟いた。 「おお、神よ、すんでのところで私はあなたの子を売ってしまうところでした。 たった10セントで」。

【聖書から】

世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。(マタイ 18:7)

あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利権のためにではなく、献身的にしなさい。ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。(ペトロ一 5:2-3)