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 1608年(慶長13年)、金沢のクリスマス

 高山右近が金沢に住んでいた頃の「キリシタン時代のクリスマス」の様子が、『ローマのイエズス会文書』に遺されています。

 その記録を、現代の私たちに分りやすく記しているのは、海老沢有道氏(1910〜1992)です。『高山右近』という吉川弘文館発行の本に次のように書かれています。

 慶長13年(1608)のクリスマスは、右近の計画により盛大に催すことになった。それはキリシタンたちの信仰の喜びを昂揚(こうよう)させる道であり、共同意識・団結心を強めるためであり、あわせてキリシタンの伝道でもあった。迫害がひしひしと迫って来ていることを熟知している右近は、高槻に父ダリヨにより始められ、また迫害下の京都の教会において信仰の維持に大きな役割を演じたコンフラリヤ(*)などの信者の団体を、金沢にも強固に組織する必要を感じていたことであろう。
 右近は各方面に自署の立派な招待状を発送し、ナタル(クリスマス)の夜には多くの群衆が教会に押し寄せた。深夜聖祭が終わってからのアガペ(愛餐)は右近の饗応になる結構な馳走で、一同祝日の喜びをいやが上にも高めた。

 このような盛大なクリスマスが、今から400年ほども前に行われたのは、何処であったのだろか。金沢の歴史資料から分ってきたのは、現在の金沢市内の尾崎神社から道路をはさんでの大谷廟所あたりと思われます。

 盛大なクリスマスが行われた翌年には、高山右近は高岡城築城の設計をまかされるという大きな仕事が待っていました。(文責、木越邦子)

*「コンフラリヤ」とは、キリスト教信徒の自発的で自主独立運営からなる信徒信心組織をさすヨーロッパ起源の用語。