神父様からのメッセージ

光の中を歩もう

 「光の中にいると言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。しかし兄弟を憎む者は、闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません。闇がその人の目を見えなくしたからです」と。(1ヨハネの手紙,2,9-11)

 使徒ヨハネのこの言葉の意味がわかり易いもので、説明は無用だと思います。

 確かに兄弟を憎む者の目には、憎んでいる人の良さが見えなくなります。ある時私は尊敬している人の話を、ある人にしていたところ、一瞬の事でしたが、その人の目に白い幕が下りるのが見えました。本当に驚きました。その人の話を聞くと、過去に二人の間にいざこざがあって、全面的に相手が悪かったと思い込んでいたようです。あれから、何年も経っていましたがまだ怒りが収まらず、相手をまだ憎んでいるように見えました。イエスの言葉が思い出されます。

 「わたしは世の光である。わたしに従うものは、暗闇の中を歩まず、命の光を持つ」と。(ヨハネ8,12)

 イエスに従うとは、イエスの「掟」を守ることです。イエスの掟は一つしかありません。「わたしがあなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。…これがわたしの掟…これがわたしの命令です」と。(ヨハネ15,12・17)

 イエス様がどれだけ愛してくださるかを私たちは知っています。罪を何度も赦して下さるだけではなく、その罪をご自分の身に背負って、償いのいけにえとして、十字架の上で、ご自身を捧げてくださいました。その上、ご聖体の中で霊的な糧として、ご自身を与えてくださるのです。その愛に応えたいものです。その愛に応えるには、イエスの「掟」イエスの命令に従う努力をしなければならないと思います。

 兄弟を愛することこそ「命の光」の中を歩むことです。

 「主よ、兄弟が私に対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか」というペトロの質問に対して、イエスは「7回どころか7の70倍までも赦しなさい」とお答えになりました。(マタイ18,21-22)。

 私たちは皆イエスのお言葉を忘れてはいないと思います。そのお言葉を守ろうと努力していますが、感情が先立つので、中々出来ない時もあって、苦しんでいます。感情の激しい人の場合は、赦すことはなお更難しくなります。過去に受けた傷は、それを思い出す度に痛み出します。その都度赦す努力をしなければならないと思います。すべてを赦してくださるイエスの限りない愛、また7回どころか7の70倍までも赦しなさい」というお言葉は私を強く駆り立てます。感情は私を過去の奴隷にしようとします。でも私は解放されたい…自由になりたいと思うならば、祈りながら、感情に立ち向かって闘うしかないと思います。諦めないでその努力を続けるなら、必ず実を結ぶ時が来ると思います。

「光の中を歩む者になろう。」