神父様からのメッセージ

私は信じます 私たちは信じます

 人間は「宗教的存在者」と呼ばれるくらい、多様な仕方で神を求めてきました。それぞれの民族の信仰と宗教的活動はそれを表しています。神への憧れは人間の心に刻まれていると言えましょう。自分が第一原理でも、究極目的でもないことに気づき、はじめも終わりも無い存在者に憧れるようになりました。この憧れは、人間が神に向けて創られていることを表すものだと思います。この憧れは、神が絶えず人間をご自分に引き寄せていることの表れでもあると思います。人間は神のうちにだけ、求めて止まない真理と心の平安を見出すことができます。真理と美に向かって開かれた心、倫理的感覚、自由、良心の声、限りないものと幸福への憧れを持っている人間は神の存在について自問します。聖アウグスティノはこのような体験に基づいて、「私の心は、神の内に憩うまでは、安らぎを得ない」と告白しています。

 神の深い体験に恵まれていたモーセは「どうかあなたのお顔をお示し下さい」と祈ったとき、神様から次のお答えを受けました。「あなたは私の顔を見ることができない。人は私の顔を見てなお生きていることができないからである・・・・お前は私の後ろを見るが、わたしの顔は見られない」と。(出エジプト記33,18-23参照)「私の後ろ」とは、その「わざ」、「創造のわざ」を指しています。それを見ることによって、人間は神がどういう存在なのかを垣間見ることができます。被造物界は神の偉大さ、その知恵、その力を示してくれるものです。

 まさに、神様は2冊の本を私たちに届けて下さったと言えましょう。「聖書」と「被造物界」です。その両方を通して、神様は私たちにご自分を表して下さいます。

 謙虚な心をもって、その両方とも注意深く読みたいものです。