神父様からのメッセージ

希望の光

 水野源三さんをご存じであろうか。1946 年(昭和 21 年)、小学校四年生の時、集団赤痢にかかり、長い間、高熱に冒された結果、脳性小児麻痺となってしまった。それまで野原を自由に駆け巡り、腕白坊主であった水野さんは、服を着るのも物を食べるのも自分ではできず、すべて人の手を借りる不自由な生活となってしまった。何よりも言葉が話せなくなってしまい、人とのコミュニケーションが取れなくなってしまった。

 だが母親の愛はすごい。診療所の医師が「はい」と言うときは目をつぶれといったのがヒントとなり、お母さんは五十音表をつくり、それをもとに会話を始めた。たとえば、「とり」という言葉の場合、お母さんがア段を横に指をすべらせる。「た」のところで源三さんが目をつぶる。次はタ行を下に行き、「と」で目をつぶる。「り」も同じようにして拾い、ようやく「とり」という単語が取り出される。気の遠くなるような作業である。このようにして 47 歳で亡くなるまでに四冊の詩集が生まれた。

 その一つに「キリストのみ愛に触れたその時に」(1977)がある。

キリストのみ愛に触れたその時に
キリストのみ愛に触れたその時に
私の心は変わりました
憎しみも恨みも
霧のように消えさりました
 
キリストのみ愛に触れたその時に
キリストのみ愛に触れたその時に
私の心は変わりました
悲しみも不安も
雲のように消えさりました
 
キリストのみ愛に触れたその時に
キリストのみ愛に触れたその時に
私の心は変わりました
喜びと希望の
朝の光がさして来ました

パウロ 九里 彰 神父