神父様からのメッセージ

福音の喜びを広めるために 〜フランシスコ教皇逝去を受けて〜

 復活の主日の翌日に飛び込んだ教皇フランシスコの訃報。その直後には日本のメディアも多くこの話題を取り上げ、また追悼の言葉がキリスト者問わず、世界中からまた日本国内でも多く寄せられていることは、その信仰を超えた影響力を感じざるを得ません。また、前日まで苦しい身体でサン・ピエトロ大聖堂のバルコニーに登場し、大衆に向かってイエスの復活を祝い、「平和は可能だという希望に、わたしたちが立ち返ることができる」ように願われ、各国の紛争当事者には、攻撃を止め、人質を解放し、飢えに苦しみ、平和な未来を切望する人々に手を差し伸べることを訴えられました。最後の最後まで、「イエスは墓の中におられるのではない。生きておられる」ということを証しされました。

 1936 年アルゼンチンで生まれた教皇は、即位前までブエノスアイレスの貧民村で最も貧しく疎外された隣人のために献身してこられたのは有名な話です。2001 年枢機卿に叙任された後も小さなマンションに暮らしながら高級乗用車ではなく地下鉄など公共交通を利用されたり、教皇に選ばれた際も、「貧者の聖者」と呼ばれる聖フランシスコの名前を歴代の教皇の中ではじめて選ばれました。アルゼンチンメディアは、「フラシスコ教皇が残した財産はたった 100 ドル(約 14,200 円)だった」と報じているところからも、司祭職を生きる私にとっても、牧者としての大切なことを教えられたように思います。

 わたし自身、教皇在任期間中に、WYD(世界青年大会)で 2 回、そして教皇訪日と合わせて 3 回、教皇ミサに参加させていただく機会がありました。その度ごとに「身近さ」を体感してきました。偉大な遠い存在ではなく、イエスのように、子供たちを抱き上げ、病気の人を見舞い、苦しんでおられる人たちに寄り添う姿勢を示されました。そして、昨年 1 月の能登半島地震の犠牲者の方々への哀悼の意を表明してくださったとともに、日本の地方の自然災害に対して、災害に見舞われたすべての人に心からの連帯と精神的な寄り添いを示してくださったことは、わたしたちも大きな心強さを感じました。

 世間はコンクラーベを経て、誰が次の教皇(指導者)に選ばれるのか、ということに注目が集まっています。しかし、わたしたちは、フランシスコ教皇の永遠の安息を願い祈りながらも、生前の教皇が発せられたひとつひとつのメッセージ、また生き様を見つめなおして、改めてそれぞれがどのように生きなければならないのか投げかけられていると思います。いつまでも嘆き悲しんでいてはいけません。

 フランシスコ教皇が、青年たちに語り掛けていた言葉があります。「何かすばらしいものを見て、自分もそうしたいと思ったなら、ソファから立ち上がりなさい」と。すばらしいものは情熱をかき立てます。だれかに夢中になれば、ついには起き上がって、大きなことをし始めます。死んだ状態から起き上がり、キリストのあかし人となって、キリストのためにいのちをささげるはずです。」と。(2020 年「世界青年の日」教皇メッセージより)

 まさしく、「キリストは生きておられます。この方は生きておられ、あなたに生きるものであってほしくてたまらないのです」(使徒的勧告「キリストはいきている」1 項)

 フランシスコ教皇の想いが、わたしたちの中で生き続けていきますように…。

片岡 義博 神父