修道院の窓から

ラビリンスでの祈りの体験

私たちの生活には年の黙想といわれるものがあり、満 10 日間を静かな祈りの時として過ごします。この度の黙想会は私どもの小金井修道院で過ごしましたが、そこは旧武蔵野の面影をとどめる、高さ 10m を超すような木々もそびえるこんもりとした林の中にあります。かつて幼稚園のあった空き地にラビリンスといわれる場所が常設されています。

玉竜でふちどりされた通り道は車いすの方も利用できるように幅も広く、5 周回できる道がある、直径 15m のものです。

ラビリンスという語は迷宮と訳されるようですが、入口から曲がりくねりを進むと迷うことなく終点に到達でき、また戻ってくることができます。

昔から神聖な視察のために巡礼という旅をしましたが、聖地巡礼が困難になってからローマ教会は 7 つの大聖堂を巡礼者のエルサレムと定めたそうです。巡礼目的地の大聖堂でラビリンスに歩み入ることは、身体的な旅を終えて天の都の霊的な領域に入ることを象徴する儀式になり、ラビリンスの中心は新エルサレムと呼ばれたのだそうです。

現在はシャルトルの大聖堂に行くと、床にはタイルの大ラビリンスが描かれているのだが、イス席の下に隠れた状態になっていて人々は気が付かないそうです。

ラビリンスは祈りの道具とも考えられます。ラビリンスで身体を動かすことは心を静めるのに役立ち、神聖なるものとの交わりの体験になり、変容に役立つ道具ともいわれます。

私も自分の内に問い続けていることについて焦点を当てて毎日歩き祈っていました。歩くたびに違った意識を得ることができたり、違った内面への問いかけを感じることができたり自分の祈りの助けになったと感じました。

黙想会の終わりに、小金井修道院のある姉妹にラビリンス体験を分かち合ったとき、「それで、あなたの最後の想いはどうなったの?」と問われて、「こうこう・・・よ」と答えると「それは、神様からのものだ!」と思いがけず力強い宣言をいただきました。私も軽い心持ちになって戻ってきました。

2018 年 3 月